創業からこの所在地で営まれていますか?
東海新聞は元能見町、愛知新聞は康生町、ともに岡崎市中心街で営んでいました。現在の南明大寺町に移転したのは1973年です。
創業からどの位たちますか?
創業が1945年12月なので、今年で70周年になります。東海愛知新聞としては設立が1977年なので38年になります。
今の社長は何代目ですか?
現社長の大津一夫で8代目になります。
先代はどんな方でしたか?
先代(7代目)の長坂和男は、現在は会長として在籍しています。社長を交代したのが昨年の1月。主に営業・経理部門を統括しています。
どんなきっかけで創業されることになりましたか?
創業時からの社員が在籍していないため、代々聞いた話になりますが、終戦直後は町に何もなく空っぽの状態だったそうです。現在と違い、インターネットやテレビなどが普及してない時代。生き残った人たちにとっては情報が欲しいというニーズがあり、そういう人たちに情報を伝えなければということで新聞製作が始まったそうです。
この会社で、今まで一番大変だったことはどんなことですか?
新聞創刊当時は、戦後で物資が乏しい時代でした。配給制で紙が不足していており、決められた紙の数の中で新聞を作らなければならない状況でした。圧倒的に紙の数が足りない、紙が限られている時代に先輩たちが苦労したと聞いています。
竹内さんがこの会社に入ってから一番大変だったことは何ですか?
取材先で辛いことを聞かなければいけない時です。例えば、災害で亡くなった方の家族に話を聞く時は家族からすると「ほっといてくれ」となると思うのですが、亡くなった人がどういう人だったかを伝える使命があるので、取材する側としては心苦しいですね
この会社で、一番嬉しかったことはどんなことですか?
新聞の左上に号数の記載があります。毎日1号ずつ増えていきますが、2万号に到達したのが3年前です。現在、岡崎で地方紙と言われているのは東海愛知新聞だけ。2万号を突破したことは嬉しかったですね。継続は力なり、続けることが大事だなと思います
続けることの秘訣はなんですか?
新聞を楽しみにしている人がいるので、その人たちのためにもいいネタを見つけてくるという気持ち・意識を持ち続けて取り組むことが秘訣です。
この会社で転機となるような出来事があれば教えてください
1977年に東海新聞と愛知新聞が合併したことです。
どんな学生でしたか?
一言で言うと変わった学生でした。いろいろなものに好奇心を持っていました。
学生時代にどんなアルバイトをしていましたか?
一般的なのはコンビニ、ガソリンスタンドです。他には、漁業のアルバイト、コンサートスタッフなどの日雇いも経験しました。今ではそれらの経験が役に立っています。
学歴~職歴を教えていただける範囲で教えてください
岡崎市立竜南中を卒業して、高校は愛知県立豊田西高校、大学は三重大学に進学しました。中学校3年生のころ(1993年)に政治が大きく動いた出来事があり、それに衝撃を受けた影響もあってか、大学進学時には政治関係のコースがあった三重大学を選びました。卒業後の進路として、新聞記者か公務員を志望していましたが、すべて落選し、食品関係の仕事に就きました。4年半ほど勤めましたが、新聞記者への思いが断ち切れなかったため会社を退職。半年間の就職活動の結果、夕刊専門の「名古屋タイムズ(名タイ)」を発行していた社団法人名古屋タイムズ社に入りました。残念ながら7年前に休刊になってしまったため、東海愛知新聞に移籍し、6年が経過しています。
この仕事に就いたのはなぜですか?
学生時代から政治というものを伝えたいと思っていました。政治を伝える仕事として新聞記者が思いつきました。新聞記者は会社の試験に受かれば誰でもなれます。大学卒業後には異業種に一度就職しましたが、自分の意志を貫いて転職し、新聞記者になれたので、とても満足しています。
いままでに熱中したことや趣味などはありますか?
趣味は旅行です。国内ばかりですが、沖縄と北海道には10回ぐらいずつ行っています。計画を立てるのも楽しいです。沖縄や北海道では、その土地の地方新聞が気になり、買ってしまいます。自分の仕事の参考にすることもあります。
熱中したことは選挙やオリンピック関係の取材ですね。3年前のロンドンオリンピックで蟹江美貴さんという岡崎出身のアーチェリー選手が銅メダルを獲得しメダルを下げて岡崎市役所に報告に来たことや、フィギュアスケートの浅田真央さんや安藤美姫さんが岡崎でスケーティングを披露した時の取材は熱中しました。テレビで見ている人が間近にいる感覚は格別です。興奮もさることながら集中しますね。
地方によって新聞の特色などはありますか?
あります。沖縄では本島だけはなく宮古島や石垣島などの離島にもそれぞれ地方新聞があります。その会社が一番伝えたいことがトップ記事に来ますが、沖縄の新聞の場合、サトウキビの収穫始まるとか、3月20日ごろから海開きとか。そういう独自のネタ、特色がありますね。作り方も会社によって違います。分厚かったり、全面カラーだったり、東海愛知新聞のように4ページしかなかったり。結構面白いですね。印象的なことは「サトウキビの収穫始まる」。こちらでは絶対に書けない記事です。地方紙には各地域の特性・特徴が浮き出ますね。
自分を動物に例えるとなんですか?
午年生まれということもあって「馬」かなと思います。競馬も好きですし、体験乗馬も楽しんだりします。岡崎市内にも乗馬ができる場所があり、取材で馬に乗らせてもらいました。こういう取材は楽しいですね。馬と見つめ合って何となく通じるものがあったこと、一直線に駆け抜けるところも性格的には近いので、動物に例えるなら馬かなと思います。
尊敬する方はいますか?
名古屋タイムズ社に入った時、新聞記者として素人だった自分に新聞記者とは何たるかを教えてくださった上司の方です。お世話になりましたし、尊敬もしています。自分を育ててくれた両親も尊敬しています。
今までで大きな影響を与えた方はいらっしゃいますか?
尊敬する人と重なりますが、自分を新聞記者に育ててくださった上司の方。ほかには、他の会社の女性記者です。活発であり、自分と同じようなネタを書いていても書き方や視点が違うので、ものすごく刺激を受けました。ライバルというとおこがましいかもしれませんが。岡崎青年会議所のまちづくり部門の先輩の中にも自分に影響を与えた人はいます。
あなたが幸せと感じる瞬間を教えてください
記事に対して反応があった時です。取材した方からはお礼を言われますね。時には批判的な意見もありますが、読んでもらっているからこそ反応や批判があるので、読者の方からいただいた反応が小さな幸せですね。
お取引様はどんな分野の皆さまですか?
幅広い意味では読者も取引先になるではないでしょうか。購読者あっての新聞ですから。その他では、新聞を発行する上で重要な紙の業者、新聞の下段に広告掲載しているスポンサー企業などです。
お客様はなぜ御社に仕事を依頼すると思いますか?
地域に密着した新聞社だからこそ、地元の方々からの情報提供もあります。それから、創業(創刊)70周年という伝統、岡崎唯一の地方紙としての信用もあるのではないかと思います。
あなたの会社に他社と違うというところはありますか?
地方紙は全国紙に比べると、取り扱うネタが細かいです。全国紙では、その日に起きた全国的なニュースがトップ記事になりますが、東海愛知新聞では地域に密着した記事がトップに来ることがほとんどです。
小学生にいまの仕事を伝えるとどのようになりますか?
「新聞を作る仕事です」と言います。それが最も分かりやすいと思います。
ライバルはいますか?
この地域に配られている他の新聞全部です。
現在の仕事内容になるまでに扱った商品などがあれば教えてください?
基本的には新聞製作です。時々、ページが厚くなったり、一部カラーになったりしますが。 新聞製作以外では、私たち記者ではない方が書いた連載をまとめて本にしたことがあります。
この会社におもしろいと思う社員はいますか?
新聞記者には変わっている人が多く、特徴があって個性があります。
今までお客様からご意見いただいたことがあれば教えてください
いろいろありますが、生かせるところは生かして、貫くことは貫きます。
現在の事業内容に学生の意見を取り入れるとしたらどんなものを取り入れますか?
学生で新聞を読んでいる人は限られていますので、若い世代にも読んでもらえるような内容を取り入れていきたいです。
現在の事業内容は、困っているという“必要性”と欲求を満たす“欲望”とどちらの比率が大きいと思われますか?
岡崎に地方紙が1社しかないということもあって、どちらかといえば、必要性のほうが大きいと思います。