<会社について教えてください。>
会社創業の歴史について教えてください。
昭和55年創業です。創業者である社長(父)が、熊本から東京に出て階段などを作る鉄工所に就職しその後、岡崎のある会社の一角を借りて従業員2人で渡瀬工業を設立しました。その後、平成元年に有限会社渡瀬工業になり来年30周年を迎えます。
創業当時の状況を教えてください。
創業当時の状況は、最初はカタカタ動くからくり製品を作って売っていたそうです。売上げは、年間2500万円、今の価値で言うと3500万円。当時岡崎は自動車産業が盛んな時代で景気は良かったようです。また会社の一角を借りて業務していたので経費はほぼかからず売り上げたお金は作業員2人の給料になっていたといいます。その代わり労働時間は平均10時間で、休日はほとんど有りませんでした。それでもやりたくてやっている仕事だったので、苦ではなかったと聞きました。
会社の経営理念・社訓について教えてください。
経営理念は「納期最優先・お客様からの信頼・無駄をなくす」、これを簡単に言い換えると「早く・きれいに・安く」です。社長がよく言っています(笑)社訓については「真心」です。それはお客様に対しても、商品に対しても真心をもって接するということです。
わかる範囲で良いので会社の名前の由来を教えてください。
すごく簡単でびっくりしました…、自分の名前で社会に出る!(笑)
理由が同級生に負けたくなかった。というのが一つ。もう一つ、社長(父)は元々熊本の生まれだったので故郷まで自分の名前が届くようにしたいという想いがあったそうです。
現在はどのようなお仕事をされていますか。
一つは、製造業務です。洗浄機とコンベアをメインで製作しています。もう一つは、サービス業務です。機械の修理・改造・メンテナンス等をやっています。
近頃取り組んでいる、新しい商品やサービスは何かありますか?
A. 最近取り組んでいるのは、客先に関してはロボットです。
AI、人工知能をつんだロボットのある生産ラインを製作しています。
日本でも確実に人口減少が見えています。大手企業には数百人必要な生産ラインがあります。生産ラインの人が数十人減っても、ラインが稼働できるように、人の替わりにロボットに仕事をしてもらうということです。
前々からロボットの導入はおこなっています。ロボットでやっている仕事を、人工知能をつんだロボットに替え、人に近づけようとしています。
コンベアーに関しても、部品の搬送だけでなく、移動式ユニットとして物を運んだり、取りにきてもらうなど、少し変わったこともやっています。それらは、日々少しずつ進化しているので、私達としては、あまりすごいことをしているという感覚ではありません。日常でやってきている仕事が、バージョンアップして、さらにバージョンアップしていく形で進化していっていますね。
社内に関しては、タブレットです。紙の設計図をだんだん電子化していっています。
これのメリットは、指先で画面を大きくするだけで、虫眼鏡がなくても細かい数字や図を見ることができる所。とても楽で見やすいです。
現地に行って修理する際に、設備をバラバラにしたときに必要な図面を転送することや、メール・写真のやり取りも出来るのでとても便利です。
現地の修理は片道の移動時間が30分以上かかるので、フリーハンドで図面を書き、メールで図面を転送し、製作依頼の連絡をして時間調整をしながら帰社すると、部品が出来上がっている。そしてすぐに持って行ける。そんな連携もできています。
電話で細かく説明しても全く違う製品が出来上がります。言葉だけだと伝わらないことをどうにかしようと思い、パソコンより使い勝手が良いタブレットを導入しました。
渡瀬工業さんの企業内容や今一番アピールしたい商品・サービスなどについて教えてください。
マーケットとして当社では開発するものはありません、新しいもの(素材・部品・ユニット・商品) があるから、使ってくださいと言われることが多いです。やり方・方法を変えるということは多少します。製造業務の評価としては『老舗の安心感がある』とよく言われます。サービス業務は「便利屋」や「困ったときのお助け屋」と言われることが多いです。
お客さんの分野では何が一番多いですか。
サービス業務でいうと、客先には、メンテナンス、修理をする部門があります。部門名は改善係とか保全係と言います。その部署の担当者や係長・課長さんから直接電話が来ます。
依頼してくる方はなぜ自分たちの会社に依頼すると思いますか。
A. やはり老舗の安心感であったり、安全第一ということが今の企業には重要視されていると思います。当社は来年で30年になるのですが、一度も事故はありません。そこは誇りを持っています。客先企業さんもそこを見てくれているからこそ、依頼がくるのだと思います。
他には、対応ができる時は、なるべくスピーディーに対応するので、困ったときのお助け屋さんになったりしているのかなと思っています。
他社と違うはありますか?
大きく違うところは仕事を断るところです。無理なら無理とはっきり断らせていただきます。
普通なかなか断らない業者さんが多いのですが、金額が合わない場合は、断ります。仕事に見合った対価をもらって初めて成り立つと思っています。次に、納期が短い場合ですね。当社では納期厳守なので絶対に間に合いませんよ、できませんよということははっきり言いますね。
今後どのような商売をしていきたいか
A. 事業拡大はしたいと思っています。リスクを踏まえたうえでやる。5年は安定してやっていけるので、その間に事業形態を見直し変化して、いろんなところに踏み出ていこうかなと思っています。
次に渡瀬様ご自身についてお伺いしました。
経歴について教えてください。
私は、会社に入る前は普通に大学生でした。
どこにも修行に行かずに、渡瀬工業に入社しました。と言いながらも、中学、高校とここでずっとアルバイトをしていたので、振り返ると若い職人さんよりもレベルが高かったです。だから、就職したときには第一線で仕事をしていました。
大学の時は、基本アルバイト。アルバイトを色々しました。トラックの運転手、クロネコヤマトの配達、県内の搬送、中距離で東海三県、長距離で九州など。その時には、大型の免許を持っていました。バイトをして、必要だなと思った資格を取得しました。
他には、土木作業員。道路を作ったり、金沢の大きな交差点を石で模様を作ったり、
清掃作業もしました。焼却炉の清掃など。
他には、薬の試飲。私の場合は胃薬でした。三錠飲んで一日軟禁。副作用がないか調べるバイトです。バイトは短期間で色々なことを覚えられるので、浅く広くいろんなことを経験させてもらいました。
ここではこんな資格がある、自分に必要だなと思ったら、勉強して資格を取りました。バイトで色々な人生経験ができると思っていました。
人との出会いや趣味や学生時代にのめり込んだ事など仕事以外でも結構なので現在の仕事観に大きく影響する出来事があったら何か教えてください。
A. 人との出会いは、高校時代の恩師です。当時はぜんぜん進学するつもりはなくて、普通に家業を継ぐつもりでしたが、恩師である安藤先生から「今の時代、大学に行ってないと経営は無理だ。」と言われ、悩んだ末大学に行く決心をしました。結局、金沢工業大学に特別推薦枠で進学することになり、私にとっては大きな転機になったと思います。
今の仕事に役立っていること
資格ですね。私達の業種は、資格を持つことがスタートライン。持っているのが当たり前。この業種で必要な資格は21種くらいです。
心変わりする事などなかったですか
ありました。持ってる資格だけでも普通に一流企業に就職出来ましたし、トヨタ自動車に推薦ももらえました。でも私は渡瀬工業でアルバイトしてたので、就職する前から大手企業の中身を知っていたんです。生産ラインでは、一日中、365日ずっと同じ仕事をする、私はこの仕事はできないと思ってました。また技術者、ラインの設計などをする人たちの話も聞いたことがありましたが、面白くなかった…。ただ面白い仕事だなと思ったのは鉄(鋼材)を作っている会社。色々なことをしていて面白そうだと思いました。
しかし、その時たまたま社長(父)が体調不良だったため帰ることにしました。これも何かのタイミングだったと思います。
経営の知識はどこで学びましたか。
経営の知識は、独学とみんなからの情報。
岡崎鉄工会青年部に入って2年。ものすごく勉強しました。経営、世の中に対して、岡崎市に対しての考え方が180度変わりました。すごく大きな転機でした。
お仕事を始めてからのことで仕事の面白さや楽しさなどを感じた瞬間はありますか。
仕事の楽しさを感じた瞬間は、機械の製造業務に関しては、機械を作って動いたときは最高に感動します。逆に動かなかったときは凹みます。他には製作した機械を出荷するときも嬉しいです。サービス業務に関しては、修理を終わった後に、お客さんから「さすがだね」や「ありがとう」などはやっぱり気持ちがいいものです。
職場の雰囲気
職員さん同士も仲がよく職場もアットホームな感じでした。
働きがい
働いている人たちの技術力が最大限に生かせている職場だなと感じました。
将来性
ロボットや女性の導入など今と違った事業形態でいろいろな所に踏み出して行けるところに将来性を感じました。