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岡崎コレクション Presented by 青経連
Okazaki collection by SEI KEI REN

企業インタビューページは、青経連と岡崎女子短期大学による産学共同事業です。
岡崎女子短期大学生が青経連加盟の各企業を取材し、学生の視点で発見した各企業の魅力を発信するページです。

企業インタビュー

株式会社 新美利一鉄工所
 新美 剛一 様

お客様ひとりひとりに合わせたサービスを!

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現在の業務内容

「高性能レーザー加工機」をはじめ、「YAG溶接機」、「シャーリング機」、「ドリルセッター」など、最先端設備を揃えています。
受注製品は産業機械部品がメインです。お客さまが本当に困っていることに丁寧に対応し、大量生産していないものに特化して勝負しています。

得意な製品・分野・技術

1.薄物精密機械鈑金部品のレーザー加工、ブレーキプレス加工、アルゴン溶接技術などを保有してます。
2.短納期、高品質な加工技

創業の歴史

大正15年前
代表取締役
新美広治の実父、新美利一(にいみりいち)
創業 昭和29年 合資会社新美利一鉄工所
設立 昭和43年前 代表取締役 新美広治
入社
平成26年 工場内LED化
平成26年9月 太陽光発電による売電開始
平成27年 合資会社新美利一鉄工所から株式会社新美利一鉄工所へ社名変更

なぜ、創業当時瓦の製造、販売に着目していたのですか。


昭和の時代は瓦の家がとても多かったんです。岡崎にも本当に多くありました。
今のアパートなんかも大昔は瓦でできていました。家を建てる人がいるということは瓦が売れるということ。だから、瓦の仕事は結構身近で市場として成り立っていました。瓦も昭和時代や平成の前半は高く売れたので儲かりました。
しかし、時代とともに瓦の家は減っているので瓦の製造からは撤退しました。


「日々是決戦」、「クレームはチャンス」という言葉を拝見したのですが、なぜこの言葉を大切にしているのですか。


私の好きなスポーツ選手にジャンボ鶴田さんという方がいます。全日本プロレスの選手です。
ミュンヘン五輪に出ていて、ジャンボ鶴田という通称名で呼ばれていました。鶴田友美という選手です。
中央大学を出た後に、ミュンヘン五輪のオリンピック日本代表に選ばれ、その後全日本プロレスに入ったとても有名な選手です。
ジャンボ鶴田さんがよく使う言葉がありました。
それが「日々是決戦」という言葉です。「毎日が戦いであり、一日一日の積み重ねが大切だ」と言っているのを聞き、当時中学生の自分はとても感銘を受けました。強くて、オリンピックにも出て、お金も稼いでいる大好きな選手が、「毎日が戦いだ」とテレビで沢山言っていたので好きな言葉になりました。
クレームについては、商売をするにあたってつきまとうものなんですけど、クレームは逆に言うとその人と話すチャンスなんですよね。お客さんと話す絶好の機会なんです。喧嘩するほど仲がいいという言葉がありますが、喧嘩だとかクレームというのはその相手と向き合って目を見て話すきっかけになります。
もちろんクレームがきっかけで喧嘩別れになってしまうこともあります。友達だって「もう顔も見たくない」と思うことありますよね。
でも喧嘩を境に仲良くなることだってある。ビジネスにおいては、なにかトラブルがあったときにそれを境にもっと仲良くなってもっと利益が増える、大きな仕事をもらえるということが結構たくさんあるんですよ。
クレームをうまく処理することで結果的に自分に利益が戻ってくるケースが多いと僕は実感しています。クレームが100回きたら100回利益に繋がるなんてことはありませんし、もちろんダメになってしまうこともありますが、半分くらいは利益に繋がっていると私は思います。クレームは上手に処理できれば、勝手に利益が増えていくと思うくらいには、クレームはチャンスだと思っています。


仕事をするにあたって常に考えていることは何ですか。

どの業界でも「早く納品してほしい」というお客さんは必ずいます。それは当然のことだと思います。だから、「早く、安く」仕事ができるほうが有利なんです。でも現在は土日休みがふつうになってきましたし、本当にお客さんのことを考えたら365日24時間営業したほうが絶対にいいわけですが、そうすると従業員が体を壊してしまいますよね。だから普段の営業時間の中で、できるだけ仕事の無駄をなくしてスピードアップさせることで納品が早くなってお客さんに喜んでもらえる、お客さんが喜んでくれる、つまり利益が上がるわけですよね。相手の人がどうしたら喜ぶか考えること、これに尽きると思います。
また、最終的にここにつながると思うので、どうしたら喜んでもらえるかを毎日考えるようにしています。


周りの人すべてがライバルとはどういうことですか。

このような質問をされると、同業者の方と比較するケースが圧倒的に多いと思います。でも僕は、周りにいる同級生もライバル、同業者もライバル、そし
てお客さんもライバルだと思っています。同じ目線で比較すると、勝った負けたとかどっちが儲かったとかいろいろあると思うんですけど、そういう小さいことではなくて「周りにいる人すべてを意識したほうが自分にメリハリがつく」と思うからです。

なぜ、こちらの会社を継がれる前は、信用金庫に勤められていたとのことですが、決め手はなんでしたか。

当時の信用金庫は給料がよくて年間のボーナスが6.2ヶ月もらえました。世間の普通の会社は、夏と冬の2回ボーナスでしたが、当時の銀行業界は3回。7月、11月、3月にありました。1回あたり基本給の2、1ヶ月分をもらえました。大学を卒業して信用金庫に就職した私は1回あたり5、60万円もらえました
。年間で200万近くもらっていました。
それに、当時はまだ土曜、日曜、祝日が休みでしたなぜそんなにお金にこだわるのかというと、お金に携わる仕事が好きだったからだと思います。
野村証券とか保険屋さんとも迷いました。でも、身近に金融企業に勤めている人が何人かいたのでその人たちの影響もあり、銀行員になりたいなと思いました。この会社を継ごうとしたきっかけでサラリーマンの限界を感じたのはいつですか?
大学を卒業してから4年間信用金庫で働いて、そして鉄工所に入りました。当時は不況でした。
今とは違い、学生が就職浪人する時代です。様々な企業が倒産し、ハローワークにも人があふれるような状況でした。当時は今ほど求人がありませんでした。
たかだが20年前の話ですが、今とは全く違い大変な世の中でした。今みたいに「アベノミクス」もありませんでした。
次第に信用金庫のボーナスも下がっていきました。普通は経験を踏んで2年3年やってきたら給料は上がるはず。
私は営業成績もよかったので多少は上がりましたが、周りの同期や先輩たちの給料がどんどん下がっていくのを目の当たりにして「あ、これは自分の目指している所はちがう」と感じました。
当時は信用金庫にいると取引先に工場の社長さんだとか企業の社長さんがいました。
多くの人と触れ合うきっかけがありました。社長は、頑張ったら頑張った分だけ、利益を得ます。
逆に失敗して自己破産してしまう人もいますが、成功した人とも失敗した人ともお付き合いができるのが銀行員でした。そうやって多くの人と関わっている
うちに、自分ももっと大きい道を行きたいなと思うようになりました。


感謝されたことの中で一番印象に残っていることを教えてください。

私たちは仕事をしていますから、依頼を受けてお金をいただきます。普通に考えると、私たちお金をいただいている側が「ありがとうございました。」と言うものだと思っていました。
しかし、あるお客さんがお金払いながら、こちらの何倍も頭下げてくださって。こちらがお金もらって「ありがとうございました。」と言うのに対して、
100倍くらい「ありがとうございました。」と言ってくださいました。
それだけ感謝されると、もう言うことはないなと。それがとても印象に残っています。

今後の夢やビジョンがあれば教えてください。

夢やビジョンはたくさんあるのですが、「綺麗事を言うと会社をもっと良くしたいし、社員の給料をもっともっと上げられるようにしたいんです
」よね、だけどこれはそういう綺麗事とあえて言いますが、教科書通りの回答を書く人が多いと思うんですけど、じゃあ社員の給料を上げるためにはどうしたら良いのかと言いますと、まず僕の給料が上がらないとだめだと思うんですよね。
自分の給料が上がっていけば自動的に上がっていくものだと思っていますので、じゃあ自分の給料を上げようと思ったら会社の利益がもっと出ないとだめなんですよね、で会社の給料は出ます、社長の給料は上がります。社員に辞めてほしくないから給料をもっともっと上げていくんです、辞められたら困るから。
そうすると自動的に上げざるを得ないんです。よその会社へ行っちゃうと困るもんですから。だからまずそうすると社員の給料と社長の給料どっちを先にあげるかと言ったら、僕は社長の給料だと思います。
社長の給料を上げるともっと上げたいと思うので、例えば一千万から二千万、二千万から三千万と年収をどんどん上げていきたいと思うと、みんなの協力が無いと上がらないんです。
自分ひとりじゃ仕事ができないので。そうすると今いる人たちのレベルを上げないといけないし、みんなの生活、この会社にいたいと思ってもらえるようにしないといけないので、そうすると必然的に社員のボーナスも上がってきますので、それによって、会社をもっともっと潤う感じにしていきたいなという目標はありますね。


学生

企業情報

企業名

株式会社 新美利一鉄工所

代表者名

新美 剛一

所在地

〒444-2112
岡崎市東阿知和町字乗越9番地36

TEL

0564-46-2955

FAX

0564-46-2997
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