企業インタビュー
こだわりの料理と新鮮な活き造りをお客様に!!
多彩な味のクリエーター
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水月の歴史を教えてください。
創業35年です。以前、岡崎には家畜市場という牛の市場がありました。その市場の前にせりに来た方たちをターゲットに「小久保食堂」をオープンしたのが始まりです。数あるメニューの中でも祖母が作るブタの角煮が特に好評だったようです。
さらに多くの人に来ていただくために、「水月」をオープンし、20年を経て、お店を大きくしました。父親は調理師免許を持っていましたが、基本的には現場監督として動き、調理自体は板前さんに任せていました。板前さんを採用することは初めての事だったので、どんな人が来るのか、どんなスタイルのお店になるのか全く見当がつかず、大変だったそうですが、活きの良い魚への拘りや100人規模の団体客を迎えられる広い会場を設けてあったこともあり、多くの方々に来ていただけるようになりました。当時はどのお店も一般的に団体客として60人を迎えるのが精一杯だったようです。
それから時代の流れとともに飲食店が増え、チェーン店やフランチャイズのお店も近隣に増えてきましたが、100人規模の団体を迎えられるお店は少なく、今でも多くのお客様に来ていただいています。
小久保食堂から水月に店名を変えた理由はなんですか。
いつもお世話になっていた方に父親が相談をし、 “多くのお客様に来店してほしい”という願いを込めて名前をつけていただきました。僕の父親も覚えやすくて、親しみやすい名前が気に入っているようです。
飲食店を経営するにあたり、大切にされていることは何ですか。
常にお客様に最高のおもてなしができる状態を保つことを心掛けています。
これまでに仕事をしていて印象的だった出来事はありますか。
今までに何人もの板前さんが変わっていきまいしたが、長い方で30年近く現役で勤めている方もおり、そういった良い板前さん達に出会えたことです。
いずれは僕がこの店を継いで守っていく立場になり、調理場だけでなく、接客や経営をしなければならなくなります。それまでは調理場での経験しかなかったのですが、この一年、接客や経営など外に出る仕事も始め、改めて良い板前さんに巡り合うことの大切さを痛感しました。
やはり調理場の外に出るメリットは地域のお客様との接点をもてることですか。
接客に出てみないと分からないことが多くあります。やはり外に出ることでお客様との接点をもつことができますし、「どのお客様がどんな料理を好むのか」ということが結びつくようになりました。電話で予約してくださるお客様の声を聞くだけで、どのお客様なのかも分かるようになりました。
料理を学んだのはいつからですか。
本格的に料理を勉強し始めたのは料理界の大学、大坂あべの「辻調理師専門学校」に入学してからです。
父親から頼まれたこともあり、自分をここまで育ててくれた父親とお店に恩返ししたいという気持ちがありましたので、料理を勉強して後を継ごうと決意しました。
どのようなところで修行していたのですか。
卒業後は最も憧れていたお寿司を勉強しようと思い、寿司屋を修行先に選びました。しかし、仕事場の人間関係など環境が合わず、1カ月で辞めてしまいました。その後、父親のお店で接客のお手伝いをしながら、再度修行先を探しました。地元岡崎では見聞も広がらないですし、当時の岡崎では有名な飲食店が少なかったので、岡崎を出ることにし、名古屋の「松月」というお店で3年間修行させていただきました。
通常お店に入って修行させてもらうと2年程下積みを経験するのですが、僕の場合は1年に満たない時期から、カウンターでお客様の目の前で天ぷらを揚げさせてもらえるようになりました。
お客様の目の前で揚げることは自信につながりましたか。
お客様に見られながら揚げることは緊張しますが、その分、自信もつけることができました。なにより老舗のお店だったので、良い板前さんが多くいる中で、天ぷらを任せられたことが大きな自信となりました。
今はフライヤーという機械がありますが、当時はこのような機械もなく、直径60センチ程度の銅鍋を使用していましたので、火加減を全て自分で調整しなければいけませんでした。当然宴会等ではお客様の数も多いので大変でしたが、その経験があるおかげで、今でも天ぷらは得意料理の一つになっています。
松月で自信もついて頼りにされていたのに、3年で辞めてしまうのは名残惜しくなかったですか。
もちろん松月さんで学ぶことも多く、充実していましたが、ふぐ料理についても勉強したく、そのために新たな修行先を探しました。
ふぐ調理師免許を取るためには、何か特別な修行が必要なのですか。
ふぐ調理師免許を取るためには、ふぐ料理を取り扱っているお店、もしくは、ふぐ調理師免許を持っている方に教えてもらいながら2年間修行しないと免許を受ける権利を持つことができません。
松月では、免許を持っている方がいなかったので、ふぐ料理を扱っているお店に入らなければと思い、修行先を変えました。
次の修行先に選んだお店はどのようなお店ですか。
安城にある「梅若寿司」です。このお店の大将と母親が知り合いで、何度か食事に行った事がありました。丁度新しい板前さんを探していたようで、修行させていただくことになりました。
梅若寿司は、僕の憧れだったお寿司を取り扱っており、さらにふぐ調理師免許を取得できる環境が整っておりましたので、最高の修行場所でした。
そこで長期間修行を積む予定でしたが、父親のお店を改装する予定があり、改装し終わるまでにお店を手伝ってほしいと頼まれていましたので、結果的に期限付きの修行になってしまいました。
今でもその大将とは親交があり、「梅若寿司」へ行きますし、大将も僕に会いに来てくれます。良い師弟関係を築けていると思います。
これからの目標を教えてください。
やはり味を守っていくことです。味が変わってしまうとリピーターのお客様が減ってしまうので、水月の味を大切に行きたいです。
味を守るために気をつけていることはなんですか。
板前さんが新しいメニューを考えたときには、社長(母親)とともに味のチェックを入念にしています。そこで料理に違和感を感じた時には、調理場に入りアドバイスをしています。
では最後に、お店を築き上げたお父様に対しての思いを教えてください。
父親が元気なおかげで今の店がありますし、僕がいると思いますのでやはり父親が柱なのだと思います。年を重ねたといっても、仕事に対しての思いは非常に強く、尊敬しています。