企業インタビューページは、青経連と岡崎女子短期大学による産学共同事業です。
岡崎女子短期大学生が青経連加盟の各企業を取材し、学生の視点で発見した各企業の魅力を発信するページです。
企業インタビュー
糸を紡ぐ人々の笑顔
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会社の業務を教えてください。
店舗の隣に繊維工場があり、毎日機械を稼働させて軍手を作っています。
その機械は2時間に1回のペースで糸が切れていないか、埃が入っていないかをチェックすれば1日フル稼働できますが、機械は埃に弱いため時々の掃除が欠かせません。
軍手作りを始めて何年になりますか。
軍手を作り始めて40年くらい経ちますが、朝6時半から夜10時くらいまでフル稼働させています。
軍手は、1双が12個で1ダースとして全国の工場で2000~3000ダースくらい売れています。
顧客は主にどのような方でしょうか。
軍手を購入するお客様は全国の作業服屋や工場、製造業の会社が多く、その理由はオーダーメイドの商品を作ることができることや、アフターフォローの注文にも早く対応できるからです。
作業服は学校関係者や土方の人が多く、価格を最少限に安くできることやメーカーのカタログを利用し素材などの提案ができることが理由です。
最近はインターネットでの販売もしていて、店頭での販売とインターネットでの販売をしています。
刺繍を入れることもできるのですね。
刺繍をするミシンは、自分自身でプログラムを作るのには限界があるためプロの人に頼んでいて、おかざえもんのワッペンは約6分で1つができあがります。
近藤孝商店の歴史について紹介してください。
創業は59年前の1957年糸屋として開業しました。当時は会社ではなく、糸の原料を仕入れて外注さんにガラ紡で糸を作ってもらい販売していました。 来年には、60年目の節目を迎えます。
会社名の由来は、祖父が創業したため祖父のフルネームにしました。祖父の死後は名前を変更するという話がなかったのでそのままで営業しています。
創業当時は、六名で営業していました。約40年前の1976年、作業服屋を始めた時に今の場所に移転しました。
近藤さん自身の経歴について教えていただけますか。
地元の小中高を卒業し、富山の大学を卒業しました。
学生時代は、スポーツをよくやっていました。特に大学時代はスキーにはまり、冬は時間があればスキー場に行っていました。
学生時代のアルバイトは、父の影響で人と話すことが好きでしたので接客業が多かったです。特にスポーツショップでのアルバイトはお客様と密に話すことが多く楽しかったです。
大学卒業後は、1年ほど飲食店に就職しましたが、あまりの職場環境の悪さに退職をしました。税理士事務所に転職し約6年勤務しましたが、父の病気を機に退職し家業を継ぐに至りました。
プライベートで今後やってみたいことは、ゴルフの上達を目指すことと、登山が好きなので1年に1つ百名山を登ることです。
夢を教えてください。
夢は、すごく現実的なことですが、目標は仕事面でもプライベート面でも一生懸命に生きることです。
まず健康であることを目標に、なるべく沢山の目標を達成できたらと考えています。
今後のビジョンについて教えてください。
昔、繊維業界は盛んでしたが、今はどうしても業界全体としては後継者不足や高齢化で盛り下がっている部分があります。岡崎と言ったら、味噌とか花火とか石などと言われていますが、繊維リサイクル業も盛んなのだよというのをアピールできるような斬新な商品を生み出せたら良いなと思います。会社としては、何もしなければ只々売り上げが下がっていく一方なので、新しい情報を勉強しながら、取り入れながら、少しずつでも売り上げを増やせるようにしたいと考えています。その為には若い人のアイデアというものが非常に参考になります。今何が流行っているのか、今後何が流行りそうかを話してもらえるだけで、新しい商品の開発や販路の開拓につながっていくと思うので、何か面白いアイデアやアドバイスがありましたら、どんどん教えてほしいなと思います。
ありがとうございました。
学生から見た企業の魅力
オーダーメイドに力を入れているため、お客様の希望に沿った商品を作ることができる。
チーム名:ネンネンチョチャラリー
編集長:加藤 綾華
インタビュアー:櫻井 雪
竹島 来美
静止画カメラマン:勝田 真衣
動画カメラマン:熊野 好己
企業情報
企業名 |
有限会社近藤孝商店 |
代表者名 |
近藤孝 |
所在地 |
〒444-2146 愛知県岡崎市岡崎市東蔵前町木平16-6 |
TEL |
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FAX |
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