企業インタビュー
お客様の欲しいをカタチにする、そんな会社でいつもありたい
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高木社長は2代目ということですが、先代はどんな方だったのですか?
先代の父が他界してから、知り合いの方々から聞いた話ですが、おおらかで面倒見のいい人でした。
私自身の印象としては、お酒が好きな方かな。でも悪酔いはしませんでしたね。
この会社で、今まで一番大変だったことはどんなことですか?
先代が脳梗塞にて急死し、社長になる準備もできないまま社長になってしまったことです。決算書の見方さえ知らなかったため、独学で覚えました。
次の世代に何を残してあげたいですか。
15年くらいかけて会社をシステム化して、若い方が職人さんとして生きていけるような場を提供したいです。それぞれが従業員として働くのではなく、六高工業として受けた仕事を、工場内の設備を共有して使用する、「小さな会社の集まり」で製作していく、そのような形で残していきたいです。
この会社で、転機となるような出来事があれば教えてください。
バブル崩壊後に他社からの安売りを仕掛けられ、3か月間で単価が3割下がった時、大量生産品やどこでも生産できるものから、小ロット多品種、短納期、難加工品など、他社が面倒だと考える仕事へと、生産をシフトすることにしました。
会社のトップの決定なので、誰も反対しないし、誰も止めなかったですね。生き残っていくためにはそうするしかなかったです。
結果、発注元の海外生産移行による仕事減少の波に飲み込まれることなく、現在に至っています。
社長がいままでに熱中したことや趣味などはありますか?
落語、MTG、ボードゲーム、ウェイクボード、ジェラート、そして、ありがとうと言うことです。
ありがとうと言うとはどういうことですか?
先代が他界して、経営者としてどうしたらいいかわからなくて、いろんな勉強会や講演会に行きました。その一つに、ありがとうは「魔法の言葉」という斎藤一人さんの講演会がありました。ありがとうという言葉は呪文だから、普段から口から出さないと効果がない、という内容でした。確かに心の中でありがとうと言っても伝わらないだろうし、それに気づいてからは、ピークのときは1日200回言いました。そうしたある日、コンビニエンスストアで支払いをしながら、ありがとうと店員さんへ言うと、ニコッと笑ってくれたのです。そんな些細なことなのですが、「ああいいな」と思い、今ではいろいろな場面でありがとうと言っています。ゲーム感覚も出てきて、1日200回言えたら来年は300回ってなりますよね。当社では、電話取るときに、「ありがとうございます。六高工業です。」って言います。そうすると、お客さんの対応も全く違い、最近はお客さんも電話出るときありがとうって言うようになりました。だんだん流行ってくるから楽しいです。そんな感じで景色が変わってきました。そして、口癖のようになってきて、ほんのちょっとしたことでありがとうという言葉が出てきます。ありがとうって言われていやな思いをする人はいません。家に帰ると、妻がご飯を作ってくれます。そのときにありがとうと言って食べると、だんだん料理がおいしくなります。あたりまえなことが、あたりまえにあることに感謝。ちゃんと感謝を口にしたら幸せが広がっていくのです。
いままでで、あなたに大きな影響を与えた方は居られますか?
中村文昭さんです。
その中村文昭さんのどんなことから大きな影響を与えられましたか?
出来ない理由を考える頭に気づかせてくれました。
中村先生のある講演会で「人間はできないことを言い訳にして断ろうとする」と言われました。とても唖然としましたが、確かにそうだと思いました。「できない言い訳を考える頭になっているから、どうしたらできるかは後から考えることにして「はい」って言えばいい。そうしたら人生変わってくる。」その話に凄くうなずけたのです。自分自身そうでしたから。楽なんですよね。バブルはじけて不景気だからって言い訳すればそれで済んじゃいますから。また、こんな話もありました。「お客さんに喜ばれるのは相手の想像を超えたときで、それが頼まれたときに試されているのだからその想像を超えろ」と。やってみようと思いまして、そこから全部「はい!わかりました!」って言うようにしたのです。6か月くらい0.2秒くらいで「はい!」っていうのを続けました。そのかわり、とても忙しかったですが。でも、そのときの、やってくれたからという口コミが伝わって今がある気がするのです。中村先生の話が考えを変えてくれました。だから今でもそれを企画した方に会うと必ず「ありがとう」って言っています。私の人生を変えてくれたのはきっとあなたのおかげだと思うからと。
お客様はなぜ御社へ仕事を依頼すると思われますか?
スピード、品質、生産能力に特化しているためだと考えています。
スピード、品質、生産能力に特化しているとのことですが、例などあげることはできますでしょうか?
スピードとは、短納期のことです。できる限りの短納期でお客さんの要望に応えます。
朝に「ごめん、これ一個今日中に」という注文でも製作できます。通常は、材料に一週間。でも、やり方次第で、いくらでも詰められるのです。 品質の面では、一般的にトヨタ基準と言われる自動車部品の溶接に関わる認定があり、当社ではその他の製品にもこの基準で管理します。結果、当社の商品は溶接でつけたものが外れないなど、どんどん信用になってくのです。どうやってお客さんに保証してくかなどは、何にでもこの基準を持ってくるから大丈夫です。ナショナルの仕事ができたのもこれのおかげです。このようなことができる工場が少ないのです。
生産能力は、当社の最大の武器です。小ロット短納期に特化しているのですが、実は大ロット短納期もできるのです。1,000台を1週間という依頼は、他社だと断ってしまうものですが、当社では余裕でできます。なぜなら、人と機械を遊ばせているからです。他社ですと10工程あると5人で2工程ずつですが、当社では10人でできるから半分の納期で出来ちゃうのです。機械はいくらでも遊ばせてあるので、「中国の納期が間に合わないのだけど、なんとかならないか?」という話も対応できるのです。その代わりコストは、日本でやるから中国の何倍かになってしまいますが。
普段は一人の人が1つの商品を作るセル生産方式なのですが、セルを10個並べてライン作ると大ロット短納期が可能です。それが生産性ということです。ちょっと変わった武器なのですが、それができるように人を遊ばせてあります。
小学生に今の仕事を言葉で伝えるとどのようなものになりますか?
鉄の棒を曲げたりくっつけたりして物を作るお仕事
コンビニで使われているフック、校庭の周りを囲っているフェンスを主に作っています。
ライバルはいますか?そこは、具体的にはどんな会社ですか?
ネット通販会社、中国、でも会社レベルのライバルは見えてないです。
会社レベルのライバルは見えていないとはどういうことですか?
うちのような小・大ロット短納期両方の会社は少ないからですね。目の前にほかのライバルが見当たりません。みんなが嫌がる物ばかりだから単価競争にならない=ライバルがいないってことなのかな?と思っています。やはり、前の「はい」が利いていると思います。
今までお客様からご意見をいただいたことなどがあれば教えてください。
単価が高いと言われました。
単価が高いというご指摘には、どのような対応をしましたか?
質の良さと短納期でカバーしています。安いものを求めるなら他社へ頼まれればよいという考えです。適正な単価でないと、短納期小ロットでやっていけなくなってしまいます。過去に、当社では受けられない値段のものを他社が引き受けたということがありました。しかし、その会社も最終的に継続して受けられなくなったそうです。それを聞いたとき、私の方針は間違っていないと思いました。
5 年後または10 年後、あなたや会社はどんな環境にあると思いますか?
ものづくりを続けています、面白いもの、変わったもの、そしてユーザーが
喜ぶ製品を作り続けていると思います。
社内で職人を独立させ、一人一人が一国一城の主で集団を形成し、組合のような
形でモノ作りを続けていき、六高工業を必要とするお客様を喜ばせ、
また、職人が楽しくモノ作りをできる環境を作っていきたいです。
夢があれば教えてください。
個人としては、誰かが自伝書くときにそこに登場できるようにしたいです。
企業としては、いつまでもお客さんに必要とされる会社で居続けたいです。