<会社について教えてください。>
創業はいつからですか?
1972年からです。
創業または設立から何年経ちますか?
44年です。
会社の事業内容を教えてください。
一般住宅、マンション、アパート、工場、公共の建物等の、キッチン、お風呂、トイレなどの水廻りの設備(給排水衛生設備)と水道本管工事(道路に埋設されている水道管の整備)の2つが挙げられます。お客様からの注文を受けて、工事までを行います。
お客様の分野としてはどのような方が多いですか?
お客様は、岡崎市役所(水道本管、公共建築物の給排水衛生設備)、ハウスメーカー、地元の建築業者、一般の方(リフォーム、修理)に大別されます。
取引のある建築業者さんからの仕事が一番多いです。一般の方は口コミで来られます。
建築業者さんも一般の方も地元、岡崎市内の依頼がほとんどですが、お付き合いのある建築業者さんやお客様のご依頼があれば、どちらでも伺います。
ライバル会社との差別化はされていますか?
昔は水道管の材料として鉄パイプを用いていましたが、今はポリエチレン管という扱いやすいものが多くなってきました。こういった水道技術の進化で、技術的には均衡状態になっていて、ある程度の知識があれば、水が漏れなくて排水は詰まらないという最低限のことができる業界になりつつあります。
なので、技術力ではなく、お客様への対応の仕方で差別化を図っています。
職人の皆にもお客様とのコミュニケーションの重要性を理解させ、臨機応変に素早く対応ができるように組織体制を整えています。特に水漏れや詰まりなどの修理の類は、直る、直らないよりもお客様に一刻も早く安心してもらうことを心掛けて働いています。
昔の技術では仕上がりに差が出ていたのですか?
我々の給排水の配管はほとんどが壁の中や土に埋まっており見ることができません。そんな中、居住空間や収納スペースを少しでも広く設けようとすると、配管のスペースが限られ狭くなってしまします。その狭い空間を昔は鉄パイプで配管しており、腕のある職人さんは少ない継手で時間も短く配管していました。なおかつ、他の業種等(ガス・電気)のスペースも考慮しながら収まり良くやっていました。
従業員の方について教えてください。
女性の事務員が3名、男性の監督・職人が6名の9名です。職人の年齢は一番上が45歳、下が22歳で、平均的にいます。管工業界では女性の職人さんはほとんどいないのですが、建築業界全体でみると最近は増えてきたみたいです。それでもだいたい1割にもいかないくらいです。
図面なども書かれますか?
昔は手書きでしたが、今はほとんどCADを使用しています。見た目もきれいでわかりやすく、好きなところを拡大・縮小したり、寸法も簡単に測ることができまし、メールでのやり取りができるので非常に楽になりました。
マンションなど大きい物件では経験が必要になるので厳しいでしょうが、小さな物件や申請書等の図面は、女性の方がセンスや集中力があり、男性より早くてきれいな図面を書くような気がします。
仕事のピークはいつごろですか。
仕事の完成・引渡しが多く重なってくる時期は、年末から年度末にかけて、12月、1月、2月、3月ぐらいになります。
市役所など公共物件は年度末までに終わらせなければなりませんし、一般家庭でも移動が多い時期ですので年明けから年度末が忙しいです。
この時期になってくると業界全体的に人手不足になってくるため、将来は外国からの
支援も考えていかないといけないと思っています。
特殊な例ですが、消費税が上がったときも大変忙しかったです。駆け込みで注文するお客様が多く、工事予定が結構先まで埋まりました。
その分、消費税が上がった後は反動がすごかったですが…。
業界として人材の推移はどうなっていますか。
建設業界では、日本の人口割合と同じように高齢化により退職する人が多かったり、リーマンショックで仕事が減り転職された方がおり、多くの人が離れていきました。また、地震の復興やオリンピック関連の仕事等で首都圏方面へ集中しつつあり、この辺では人手が不足しつつあるように感じます。名古屋の再開発など大きいビルの建設では、職人の確保に苦労したと聞いておりますし、リニア関係でもまだまだ必要になってくると思われます。コンビニや介護業界等でも進んでいるように、海外からの人材を確保していく流れになって行くのではないかと思います。
マンションや一般住宅では、特に年末から年度末、新学期にかけて完成・引渡しが多くなるので、それぞれの業種で作業が重なり人手が不足してきます。
仕事は体力仕事?
もちろん重たいパイプを運んだり、衛生器具なども持ったりしますが、配管は縁の下や壁の隙間と言った狭いところのため、無理な体制で力を入れないといけません。普段使わない筋肉を使うことが多いですし、この業界では腰を痛めている人が結構います。
会社の良い雰囲気作りのためにしていることはありますか?
主に6月の梅雨時に、1泊もしくは2泊で国内を中心に社員旅行に行って絆を深めております。
また、忙しい年度末を乗り切った後や、入退社があった時など打ち上げや歓送迎会を行い、コミュニケーションを図っています。
年末には忘年会を行い、一年間の労を労うと共に、日頃の愚痴を聞くようにしています(笑)
あとは、朝晩と従業員一人一人の表情や態度を注意深く観察して、笑顔が消えてないか見ています。
<ご自身について教えてください。>
学生時代はどのような感じでしたか?
一言で言うと真面目でした。悪さもせず、明るく元気のある学生でした。勉強は嫌いでしたが、数学だけは好きでした。そして今は、お金を数えるのが好きですが、数えるお金が。。。(笑)
学生時代にアルバイトはしていましたか?
専門学生の時に、岡崎では結構有名なステーキ屋でアルバイトをしていました。
有名だけあって金土日は大変忙しく、そんな時こそ人間性が出てしまうため、そういう時に一歩引いた位置から自分を見られるようになるといいと思っていました。
学歴、職歴を教えていただけますか?
岡崎市立竜美丘小学校→岡崎市立竜海中学校→愛知県立幸田高等学校→東海工業専門学校です。東海工業専門学校は愛知県内で唯一、建築設備科という建築の給排水衛生設備の勉強ができる専門学校でした。
学生生活で今に役立っていることはありますか?
人間関係です。友達がたくさんいたほうがいいです。
どのくらいの時期からこの業界に入ろうと思っていたのですか?
幼い頃からの家庭環境や、父を見ていたのもあり、将来は僕が継がないといけないだろうなという気持ちはありました。
父には一切後を継げだとかは言われませんでしたが、高校生の進路を決める時期になって、こちらから継がせてほしいと言いました。
苦労した話
入ったころ昔の職人さんは頑固で職人気質で「盗んで覚えろ!」というタイプの人が多かったです。社長の息子として見られていた面もありましたし、やれて当たり前と言う人もいました。なので、他の人の倍努力しないと、認めてもらえないと思いながら仕事をしていました。
そのころの職人さんとは30歳くらい年が離れていたため、なかなか言う事を素直に聞入れてもらえなかったと思います。でもお客様や会社のことを思うと、昔ながらの職人気質では駄目だと思い、すこしずつですが従業員の資質の向上に努めました。反発してやめていった人もいましたが。
従業員の皆が普通にお客様と話しが出来、コミュニケーションがとれ、お客様の立場になって仕事に取り組めるようにするため、今も努力しています。
<将来のことについて教えてください。>
今後、会社においてどのようなことを充実させていきたいですか?
お客様の満足度の上昇と、商品の提案力や技術力の向上です。
今後の目標を教えてください。
地元の方々から信頼されて愛される人になりたい、会社にしていきたいです。
個人が輝き、会社が輝き、地域が輝き、岡崎市が輝き、愛知県が輝き、日本が輝くように貢献していきたいです。
ありがとうございました。